第参拾弐話『 泪(U) 』
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アスカは狭く薄暗い場所で床の一点を見つめていた。
これはエレベーターの中で、エレベーターは深い地下へと降下している。
アスカの視界の片隅には、細い足首と、見慣れた制服の後ろ姿がある。
綾波 レイ…。
長い間、二人はそのまま動かずエレベーターに乗っていた。
「掟君はやさしくしてくれる?」後ろ姿の綾波が問い掛ける。
「えぇ…」アスカは壁に寄り掛かり、うつむいたまま答える。
「貴女は掟君の事、愛しているの?」
「そうよ…」アスカは何かを恐れるように小さく答える。
「掟君はあなたの事愛してくれているの?」
「愛してくれてるわ」組んだ腕に力を込め、噛み締めるように答える。
「ホントに?」
「本当よっ!私はシンジが好きだし、シンジも私を愛してくれてる!」
堰を切った様に、綾波の背後に立ち言うアスカ。しかし、その言葉には懇願するかの様な響きがあった。
「そぅ。男なら誰でもいいのね…?」
「違うっ!」強く否定するアスカ。
「貴女は…掟君の事わかっているの?」
「わかるわっ!」
「わかってあげられるの?」
「わかってあげられるわよっ!」今にも泣きだしそうに答えるアスカ。
「そぅ…。でもダメ…。掟君は貴女の事、許せないもの…」
その声は地の底から、アスカを蝕む声だった。
「だって、わかっているでしょ?…貴女が招いた結果だもの…」
冷ややかな綾波の声に、アスカは言葉を次げない。
「貴女はあのヒトの事を見ていた…。何度も碇君に助けて貰わなければ、貴女はとうに死んでいたのに、…碇君は貴女の事、気に掛けていたのに」
綾波の肩が小さく笑う。
「でも、貴女はいつも碇君に辛くあたったの…。罵倒して、蔑んで拒絶して…。そのくせに、女の部分をチラつかせて、碇君を惑わせる…」
アスカは言葉も無く、首を振る。
「彼…、どんな気持ちだったかしら?」その言葉には冷笑があった。
「今まで手も握らせなかったクセに、あのヒトがいなくなったらこんな風に態度が変わるなんて…。碇君も思ってるわ。ヒドイ女だって…」
「ちがう!」アスカは否定する。
「尻の軽い女だって…」
「ちがうっ!!!」アスカの瞳に泪が浮かぶ。
「だから抱いてくれてるの…。だって、便利な女だもの…」
「ちがうっ!!」アスカは泪こぼし否定するが、綾波の背中が遠く見える。
「許して貰えると思ってるの…?」
綾波レイがゆっくりと振り返る。総てが白いその全身の中で、透明でどこまでも深い紅い瞳が、侮蔑と嘲笑に歪んでいた。「愛して貰えるだなんて思っているの?」
アスカはその紅い瞳に捉えられ、落ちていった。
「いやゃあぁぁぁー!!」
アスカが飛び起きると、ベッドの上にいた。自分の脚が見える。
ポタポタと胸元に泪がこぼれ、アスカは泣いている事に気付く。
『私…、泣いてるの?』
時刻は、深夜3時を過ぎている。隣でシンジが寝息をたてていた。